崖っぷちの移住を経て、
田舎暮らしを120%味わい尽くす日々を、
面白おかしくお送りします〜👏✨
▽前回のお話▽
三人の子供を連れて地方移住を果たした
破常識かあちゃんの
イチオシ田舎ライフのススメ!!!
山古志村突撃のキッカケ
”山古志村”
と聞いて、皆さんは何を連想しますか?
新潟県にある小さな村、
豪雪地帯、
中越地震の被災地、
または初めてきいた、
等々あると思いますが、
私は錦鯉のNFTアートを発行して、
デジタル住民票としての役割を持たせたという、
革新的な取り組みをしている村、
といったイメージでした。
▽山古志村Nishikihoi NFTのページ▽
こんな全国初の取り組みをした山古志村ですが、
なんと私たちローカルディスタンスのメンバーの一人が、
そのNFTを保有しているデジタル村民であり、
メタバース上で村の人たちとの
関わりを持っていたことがキッカケで、
今回訪問する事になりました。
デジタル村民という概念
先ほど出たデジタル村民とは、
山古志村の人々との
『共感と仲間の証』
としてNFTを保有している、
デジタル上の住民という意味を持っています。
現在そのデジタル住民は1000人以上になり、
なんとリアル住民の数を超えるという
驚くべき状況になっています。
▽ 詳しくはこちらをご覧ください▽
人口約800人の限界集落と言われている村が、
NFTやメタバースといった、
日本ではまだ馴染みの浅い文化に挑戦し、
確実に未来に向かって前進しているので、
同じく存続と消滅の岐路に立つ大月市から、
地方創生団体のローカルディスタンスが、
その取り組みを深く探るべく、突撃して参りました!
とても濃厚で刺激の溢れる3日間の軌跡をお届けします。
リア村とデジ村の交流①農家民宿三太夫
初日は到着が19時頃だったのですが、
道中真っ暗で闇の中を恐る恐る向かう我らw
異様なカエルの多さに驚きながら着いたのは、こちら!
(池の多い地域なのでカエルや沢蟹が沢山いるようですw)
▽農家民宿 山古志百姓や 三太夫▽
(農家さんならではの日々の暮らしぶりが載っています!)
闇の中に光る灯りに一同安心したのですが、
宿の中に入ってみて驚愕!
めちゃくちゃ素敵なお宿で、
6時間半(休憩含む)の運転の疲れが一瞬で吹き飛びました!
1階は食事のできる大広間、
2階は8畳、10畳、10畳と、
宿泊者専用の3部屋になっています。
こちらの宿はコロナウイルスで
約2年間休業していましたが、
今年の春から再開し、
今は1日1組のみ受け入れて営業しているようです。
つまり一棟貸し切りという状況になるのですが、
それがまたとても贅沢な環境となっていて、
お忍びデートや、特別な日の利用には
最適の宿となっています!!
農家の本気のおもてなし
到着後すぐにお料理を提供してくれたのですが、
見た瞬間に食欲が激増してきました!!
農家民宿なので自家栽培のお野菜が中心なのですが、
それでこのボリュームは豪華です。
腹ペコになった我らは
テンション高めに食べ始めたのですが、
食べた途端に全員が目を見開き言葉を失いました、、、。
「なんだこれは、、、!!」
国内のみならず、海外の料理も
食べ回っているメンバーの一人が、
”忖度なしで一番うまい”
という程のクオリティでした。
長芋、れんこん、ナス、
まいたけ、そして大勝りの落花生が、
自家栽培したお野菜たちだそうなのですが、
どれも特徴を生かす味付けで、
お腹がはち切れるほど食べてしまいました。
(いや、はち切れました!!w)
「この地で採れた美味しいものを
お客さんにも食べてもらいたい、
野菜の美味しさ、満足感を味わってほしい」
といった思いのこもった、
農家民宿ならではのおもてなし料理が味わえます。
そして料理にふんだんに使われている
”神楽南蛮”
という品種の唐辛子は、
この村の特産品です。
長岡市で栽培しても辛さを出すことが難しく、
山古志村の寒暖差がないと出せない味だそうです。
遠征から帰宅してからもみんなで、
「三太夫の料理やばかったな〜!!!」
と思い出してはヨダレを出していますw
こちらの宿は農家民宿として、
長島ご夫婦が3代目となっています。
宿に入って一番に目を引くのが、
大広間の壁に描かれている民家の絵です。
この絵は中越地震の影響で立て直す前の
三太夫の貴重な一枚です。
山古志村の歴史、中越地震からの復興の軌跡、
親子で農家と民宿を営む長島さん家族の暮らし、
それらが詰まった貴重な環境がここにありました。
お近くに来た際にはぜひ体感しに、
そして長島さんご家族にお話を聞いてみて下さい。
リア村とデジ村の交流②山古志復興交流館おらたる
こちらは地域の再生拠点として、
中越地震を知ることができる展示場として、
住民の感謝と山古志村の魅力を発信する
施設となっています。
今回は
”住民会議”
という団体の代表である
竹内さんに会う目的で、
こちらにお邪魔させていただきました。
駐車場に着いた瞬間から、
窓越しに大きく手を振ってくれていたのですが、
入り口ではなんとこんな愛の
あふれるお出迎えをしてくれた、
施設の皆様と竹内さん!!
挨拶をする前に一瞬にして
心を鷲掴みにされてしまった私たち、、、!
全く壁を感じさせないおもてなしは、
山古志復興の強く温かい思いが
根底にあったからなのでした。
山古志村に住む人々の確固たる思い
中越地震以前から人口減少が
進んでいたこの地域ですが、
それに抗うのではなく、
その事実を一度受け止め、前向きに考え、
その上で何ができるのかと
試行錯誤した先で始まったのが、
NFTの発行だったと竹内さんは
お話ししてくれました。
「山古志に住む事が正義ではなく、
地震の被災地として支えてもらう立場ではなく、
山古志に関わってくれる全世界の人と
同じ目線で向き合っていきたい。
人口が減少しようとも、
たとえ800人しかいなくとも、
デジタル住民票という概念を作る事によって、
可能性を無限に生み出していきたい。」
〇〇県、〇〇市というボーダーラインを超えて、
今いる人々を取り合う事なく、
近隣の地域との連携を計りながら
共に発展していく姿を理想としていること、
関わった人たちと住んでいる場所や仕事は違えど、
同じ”大月”というキーワードで繋がっていること、
それらを日々感じながら
地方創生活動をしている私たちにとって、
竹内さんの考えは深く共感のできるものでした。
▽地域と地域を繋ぐ交流会の様子▽
そして何より、山古志村の人々は、
団結力と共通理念での繋がりが
とても強いという事がわかりました。
地震からの復興を体験した人たち、
その歴史を風化させないように
活動を続けている人たち、
その姿を見てオリジナルの表現で
発信している人たち、
どの年代も、どの立場の住民も、
山古志村の未来を信じ、
一歩一歩新たな歴史を積み重ね、
決して諦めないというエネルギーを感じました。
リア村とデジ村の交流③”小さな山古志楽舎”の会議に参加
おらたるに訪れた翌日、
中越地震のあった10月23日に行っている追悼式、
”山古志の集い”
に関する会議があったので、
残ったメンバーで参加させて頂きました。
この集いの主催は、
農家民宿三太夫のご主人が代表を務める、
“小さな山古志楽舎”
(以下楽舎)という任意団体です。
地方創生の活動をしているローカルディスタンスと
共通する部分が多い楽舎のメンバー。
活動に伴う悩みや、
ぶち当たる壁、
本業と活動の狭間での葛藤など、
初めて会ったとは思えないくらい、
あるある話で盛り上がってしまいました。
“山古志の集い”開催に向けて、
真剣に細部まで打ち合わせを
重ねる楽舎メンバーの姿を見て、
誰一人として受動的に活動している
人がいない事に気づきました。
それもそのはず。
一人一人がこの追悼式を意味の
あるものにしたい、
ただの形式的なイベントではなく、
“山古志”という繋がりの輪を
何重にも広げていきたい、
関わってくれた人が再び集える場にしたい、
そんな力強い思いがこもったものでした。
その思いの通り、山古志村だけが新潟県内唯一、
震災の追悼式を開催し続けている地域だったのです。
先日の開催の様子が記事にアップされていたので、
シェアします。
▽小さな山古志楽舎のFacebook▽
我々も来年度は一緒に作り上げていこうと決めたので、
何か力になれれば嬉しいです!
山古志村の景色がある奇跡
今回山古志村に突撃訪問をして、
本当にたくさんの貴重な出会いと刺激をいただきました。
”地方創生”
という共通ワードのおかげもあったのですが、
山古志村の人々の全く壁を感じさせないお人柄と、
『来てくれてありがとう』という心からの
思いがひしひしと伝わってきて、
胸が熱くなる瞬間が何度もありました。
お互いにまだ途上で、
正解の見えない中、
試行錯誤しながらも前に進み
続けているという状況ですが、
その立ち止まらない姿勢や、
後ろを振り返らない覚悟のエネルギーが共振して、
とても深い部分で繋がれたと感じました。
私たちは山梨県の大月市での
地方創生活動3年目ですが、
これからはもっと色んな地域に出て、
共に戦う同志との繋がりを
増やしていきたいと思いました。
その繋がりが全国に広がった時、
お互いのピンチやヘルプの声に
瞬時に駆けつけることのできる、
損得関係なく支え合える
ネットワークが成り立つと感じました。
そうして、そんなネットワークが
広がっている社会を想像すると、
どんな危機も乗り越えていける
強力なパワーが目に浮かびます。
決して誰かに依存するわけではなく、
それぞれが自立して能動的に動けるチームとして、
自分の周りにいる人の笑顔を
心から望めるパートナーとして存在し合える、
そんな愛に溢れたコミュニティの実現を確信しました。
私たちローカルディスタンスもまだまだ課題は山積みで、
失敗も挫折もあると思います。
それでも山古志村のみなさんの顔を
思い浮かべると自然と前を向ける、
そんなパートナーが出来たことを誇りに思います。
震災を乗り越えたこの美しい棚田を見て、
今見えているものが、
何万人、何十万人、何百万人もの人々の
手によって存在している奇跡を感じ、
また会える日を楽しみにしながら、
今日も地方創生活動に
全力投球していきたいと思うのでした。
山古志村のみなさん、
ありがとうございました。
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