(D)どうやら、(I)イイコト言ってる、(Y)ようですよ。(←そろそろ無理w)
はい、つきうら店主、山田です。
ここで店づくりをしていて意外だったことがある。
一昔前まで、『女なのに』がよくくっついてきた。
まぁ、今でも、会話をしていると端々にそういった思考が潜在している人はよくいる。
女なのによくやるな。女なのに大丈夫?女だから出来ない。
『男なのに』も、しかり。
私の場合、ずーっとそのワードに引っかかりを感じて生きていたところがあるので
それをいわれるとなんだかんだで最終的にこの人とは交われないなと思うところがある。
女なんだから言葉遣いに気をつけなさい。
女なんだから優しくしなさい。
女なのに頑固だな。
女性が社会進出を果たしてかれこれ70年は経とうといういうこの世の中で、何を言っているんだとおもう。同じように働き、同じように生きているのだから、イライラして言葉が汚くなることだってあるし、優しくできないこともある、頑固じゃないと生きられない場面もある。
ただただ、
言葉遣いに気をつけなさい。
人には優しく。
頑固にならず柔軟に。
というのとは大きく意味合いが違う、男だから、女だからという言葉。
田舎はそれが強いと思っていた。
女なのに店をやる?自分で作る?出来るの?
そんな言葉がどこかで囁かれるんじゃないかと思っていた。
だけど大月の人は案外ハイカラに生きてきたみたいで
あら、私も昔はよくやったわよ~。とか、
おー、兄ちゃんかと思ったら姉ちゃんか!頑張れよ!とか
(これが男女すみわけ族だと『女なのによくやるな!』という余計な言葉が付く)
街の人と会話する中で、何か引っかかるとこっていうのが無かった。
すみわけないことに凄く意外性を感じた。
商売をやっていた人が多いからなのか、店をやってくれるなら何でもいいと、こだわっている場合ではないからなのか、とにかく近所の人々からはすみわけワードを耳にしない。
現在千葉の東京寄り市川のコミュニティ(人口:491,804)と大月(人口:22,552)とで行ったり来たりして仕事をしている。どちらも宿場街だったという背景は似ている場所。
会話の中で男女を分けてくるのはどちらかというと市川や東京のほうで、大月は
人口が少ない分、男女にこだわるより、人をみるのだろうか。
多様性の時代に、うっすら光を感じた。

男だから、女だからということにこだわるのが馬鹿げている時代になったように、
田舎だから、都会だからっていうことにも、こだわらなくていい時代がやってくる。
大月はきっとそんな時代に適した環境と人間関係が本当は備わっているんじゃないかと思う。