皆さん。
「桃太郎」といえば何県を想像しますか?
![](https://otsukilab.com/wp-content/uploads/2021/02/otsuki-momotaroudensetsu-zenpen-001.jpg)
全国各地に伝わる「桃太郎伝説」。
おそらく大抵の人は「岡山県」と声を揃えて答えるでしょう。
それ以外にも香川県、奈良県、愛知県など全国的に発祥とするエピソードが残っています。
そのうちの一つが山梨県大月市発祥とする
「大月桃太郎伝説」
(今だから言えますが、大月に住み始めた時に「大月桃太郎伝説」の存在を知り、
兵庫県出身の自分にとってはお隣の岡山県の存在「桃太郎=岡山」という印象が強過ぎて、ぶっちゃけ否定的な考えでした。。。苦笑)
しかし、内容を知れば知るほど奥が深く、
根拠となる資料もたくさん残っているのです。
先日、お気に入りのYoutubeチャンネル「世界ミステリーチャンネル」でも
「大月桃太郎伝説」について特集が組まれていました。
※この怪しいペストマスクを被られた方ですw
![](https://otsukilab.com/wp-content/uploads/2021/02/otsuki-momotaroudensetsu-zenpen-002-1024x543.png)
今回は、「世界ミステリーチャンネル」の紹介していた内容の一部と
大月市に残る資料を基にまとめてみようと思います。
まず気になるのが
Q.桃太郎はなぜ岡山が有名なのか?
日本で一番有名な「岡山の桃太郎伝説」ですが、
きっかけとなったのは昭和5年(1930年)
岡山市の難波金之助が『桃太郎の史実』を公刊し、
彼の研究の成果として発表して全国的にも注目されはじめ、
昭和37年に岡山で開かれた国体で、
何か県をあげて推すものはないかと考えたところ世間の常識の様に広まっていったそうです。
ただし
原型ができたのは室町時代、文字にしたのが江戸時代といわれています。
ここで見ていただきたい写真があります。
浮世絵で有名な
「菱川 春宣(ひしかわ はるのぶ)」
の描いた「伽噺桃太郎」
これが描かれたのは
明治23年3月 1890年
![](https://otsukilab.com/wp-content/uploads/2021/02/otsuki-momotaroudensetsu-zenpen-004-1024x467.png)
絵を見て気付きましたか?
この浮世絵にはしっかり富士山が描かれており
この絵、この景観からも大月から見た富士山ということを想像できると思います。
他にも大正時代には猿橋の名物「桃太郎もち」
がすでに売られていたという記録も残っています。
![](https://otsukilab.com/wp-content/uploads/2021/02/otsuki-momotaroudensetsu-zenpen-005.png)
これにより、少なくとも「大月桃太郎伝説」は明治・大正時代まで遡ることができるのです。
ここからは
大月市に残る、「桃太郎の痕跡」について紹介していきたいと思います。
お婆さんが「桂川」で洗濯をしていると、
桃がなることで知られている桃倉山(現在の百蔵山)から大きな桃が流れてきた。
※桃が転げ落ちたとされる百蔵山(桃倉山)
![](https://otsukilab.com/wp-content/uploads/2021/02/otsuki-momotaroudensetsu-zenpen-006-1024x600.png)
桃を持ち帰ると中から男の子が生まれ、その子を桃太郎と名付けた。
「鶴島」にて成長した桃太郎は、
「岩殿山」に住む悪い鬼の退治に出かけました。
※現在は大月駅の裏手に位置し、富士山と大月の街並みが一望できる人気の登山スポットです。
![](https://otsukilab.com/wp-content/uploads/2021/02/otsuki-momotaroudensetsu-zenpen-007-1024x768.jpg)
道中、腰につけたきび団子をあげ、
「犬目」でイヌを
「鳥沢」でキジを
「猿橋」 でサルを家来にしました。
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※これは現在でも国道に沿った連なる地名として残っています。
![](https://otsukilab.com/wp-content/uploads/2021/02/otsuki-momotaroudensetsu-zenpen-009-1024x453.png)
※ちなみに猿橋は、橋脚をもたない桔橋(はねばし)という特 異な構造をもつ橋です。
橋の長さは約31mで、橋の幅は3.3m、橋板から水面までは 約31m。
日本の三奇橋の一つとしても有名な観光スポットです。
![](https://otsukilab.com/wp-content/uploads/2021/02/otsuki-momotaroudensetsu-zenpen-010.jpg)
続いては「鬼の痕跡」について説明します。
1【鬼の岩屋】
新宮洞窟
岩殿山畑倉登山口から200mほど登ったところにある洞窟。
洞窟内から外を見ると富士山の形に
切り取られた景色を見る事ができる。
「大月桃太郎伝説」では、この新宮跡を鬼が棲んでいた「鬼の岩屋」としています。
![](https://otsukilab.com/wp-content/uploads/2021/02/otsuki-momotaroudensetsu-zenpen-011.jpg)
2【鬼の血】
子神神社(ねのかみじんじゃ)
大同3(808)年9月の創建と伝えられています。
![](https://otsukilab.com/wp-content/uploads/2021/02/otsuki-momotaroudensetsu-zenpen-012.jpg)
「大月桃太郎伝説」では、赤鬼が桃太郎との戦いで逃げ出す時に隣の徳厳山に足をかけようとしたら股が裂け、その時に流した血が今も赤土となって残っているからだとしています。
3【鬼の盃(手洗い石)】
賑岡公民館岩殿分館の市道を挟んだ西側の空き地
150cm×155cm×75cm ほどの大きさで中央が丸く、くぼんだ錐体の石があります。
明治維新までは円通寺の観音堂や三重塔、鐘楼があった場所であることや、その形状や刻字から、「手洗石」であることがわかります。
「大月桃太郎伝説」では、この石を岩殿山に住む鬼が 使った「鬼の盃」としています。
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4【桃太郎地蔵】
岩船地蔵
「鬼の盃」の西側すぐ近くの林の前に石の船に乗った 地蔵菩薩像が立っています。
「大月桃太郎伝説」では、「岩船地蔵」が左手に持つ 宝珠を「桃」に見立て、「桃太郎地蔵」とよんでいます。
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5【鬼の杖】
大月市営石動団地の西にある畑の一角
高さ 125cm、幅 42cm、厚さ 19cm の花崗閃緑岩でできた直方体の石が斜めに突き刺さるような形で立っています。
斜めに傾くその先には岩殿山があることから、岩殿 山に住む鬼が投げた石杖であるとの話がいく通りも昔 から伝わっています。
諸説ある中で、
桃太郎達が猿橋から岩殿山にいる鬼に向かって
「これから退治に行くぞ」 と呼びかけたところ、
怒った鬼が左手に持っていた石の杖を猿橋の方向へ投げつけたものの、左手だったために猿橋まで届かず、途中の畑に落ちてしまったとしています。
ということは鬼って右利きだった事がわかりますね!笑
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※かつてはかなりの長さがあったが、今は折れて短くなっています。
このように「大月桃太郎伝説」の由来や、風土、痕跡などを知れば知るほど興味深い内容ですね!
次回は
なぜお供の動物が、猿・キジ・犬なのか?
などさらに深掘りをしていきたいと思います!
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